ピースロード


ピースバイクからピースロード

若者たちが平和をつくる「PEACE ROAD」
 現在の世界は、宗教・民族間の紛争、テロの脅威、北朝鮮の核・ミサイル開発などの外的問題に加え、行き過ぎた個人主義がもたらす家庭崩壊、人と人との絆の希薄化、世代間の葛藤などの内的問題も抱えています。
こうした諸問題の解決に向けて、若者たちが情熱を注いで取り組む「PEACE ROAD」運動を紹介します。


■日韓の若者が平和を願って自転車で縦走

 2013年8月3日、日韓の友好親善と朝鮮半島の平和的統一を願って、両国の数人の若者が「PEACE BIKE」の名のもとに、日本最北端の宗谷岬(北海道・稚内)から自転車で走り始めました。
日本縦走を目指したこの試みは、和解と平和を願う心を人から人へとつなぐ活動として多方面で反響を呼びました。

 そのようすはSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)で拡散されました。
全国の人々から支援を受け、リレー形式で国内の縦走を達成。さらに玄界灘を越えて韓国の釜山から臨津閣(イムヂンガク、韓国と北朝鮮の軍事境界線付近を見渡せる展望台)まで連結しました。

 この運動は日韓友好、朝鮮半島の緊張緩和のみならず、多文化社会における相互理解と共存を希求する活動として浸透したのです。

 翌年の「PEACE BIKE 2014」には日本側で延べ1200人が参加。北海道・納沙布岬から九州まで縦走するとともに、韓国でも大統領官邸前の広場から釜山まで走りました。
平和への想いを胸に過酷な環境で縦走することを通して、参加した若者の多くが精神的に成長し、「平和の担い手」としての自覚を強めることができました。

 また日本では、通過した各都市で地方自治体の首長や地域社会のリーダーに「平和メッセージ」を届け、駐日韓国大使館や各地の領事館から温かい支援を受けました。

 縦走のようすは「YouTube」にアップされ、それを見て共感した世界14か国の若者も現地で縦走を実施。
「PEACE BIKE」運動は世界的な広がりをもつに至り、計6000キロメートルを超える距離を走行したのです。

■「PEACE BIKE」から「PEACE ROAD」へ

 このプロジェクトの成功後、韓鶴子総裁は「文鮮明天地人真の父母天宙聖和2周年記念式」(2014年8/12、韓国・清心平和ワールドセンター)で、次のように語られました。

 「聖和1周年には、ピースバイク大会で日本と韓国が一つになりました。そして今回の2周年には、全世界的に14か国が参加して、6000キロメートルを完走しました。どれほど、美しい姿でしょうか。全ての気候の変化と悪天候の中でも、私たちは屈しませんでした。ここに参加し、全ての兄弟姉妹たちは、一つの心、一つの志となりました」

 2015年には名称を「PEACE ROAD」と発展的に改称し、世界120余か国を結んでの運動となりました。テーマは「世界平和」に加えて、各国が抱える問題の解決も掲げ、自転車だけではなく、徒歩・馬・オートバイ・自動車など、さまざまな参加形態となりました。

 その世界的な出発式は2015年5月30日、米国・ラスベガス、アフリカの喜望峰、南米・チリのサンティアゴの3か所で開催されました。

 アフリカ大陸では、南アフリカ、カメルーン、ナイジェリア、ニカラグア、ベナン、トーゴ、スワジランド、DRコンゴ、モザンビークなど19か国を走り、ヨーロッパを経てロシアに至りました。

 南米ではチリ、ボリビア、ペルー、エクアドル、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ、スリナムなど11か国、中米・カリブではパナマ、コスタリカ、ニカラグア、ホンジュラス、グアテマラなど15か国を走破。北米大陸を経て、ロシアのサハリンを経由して日本の北海道に入りました。

 それ以外にもアジア14か国、ヨーロッパ26か国などで縦走を敢行。この年は日韓国交正常化50周年の節目の年でもあり、両国の友好親善のための行事が日本各地で開催されました。



120余か国の代表者が集った「PEACE ROAD 2015世界120か国縦走完了記念式」
(2015年8月27日、韓国・ソウル、光化門中央広場)



■南北の平和統一を願い、DMZに沿って走行

 2016年には地方密着型の社会運動を展開するため、縦走とともにシンポジウム、セミナーなどの関連行事を開催。熊本地震(2016年4/14,16)で被災した益城町で役場への募金活動等も行いました。

 また世界各国のライダーが参加する韓国縦走プロジェクトに、日本代表団数人を派遣。韓国の「国会憲政記念館」で行われたシンポジウムでそれまでの貴重な体験をスピーチしました。

 そして代表ライダーたちは、一般人が立ち入ることのできないDMZ(非武装地帯)に沿って走行することができたのです。

 2017年には家族・社会・地域・国家間で「共に生きる」ことを目指し、「連結」をテーマにして縦走と各種イベントを展開。日本文化の1つである千羽鶴プロジェクトも行われました。

 これは地方ルートで縦走を連結する際に、千羽鶴に祈りのメッセージを記入し、アクリルケースに入れてバトンのように受け継いでいくものです。こうして集められた折鶴は、神社仏閣などの宗教施設に奉納されました。

 さらに日本の縦走団が韓国の縦走に合流した際には、この折鶴を韓国の地方自治体に贈呈。最後の臨津閣では、青年・学生たちが平和統一を祈願しながら、鉄条網が張られたDMZ に沿って自転車で走行しました。

 「PEACE ROAD」に参加した若者たちは、「平和のために自分に何ができるか分からなかったが、とにかく参加して汗を流すことで、平和を自分の問題として感じることができるようになった」と感想を述べています。

 この運動は、若者たちが新しい時代を切り開く平和の担い手として成長するために、今後も継続されていくでしょう。